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2024年新紙幣発行!新紙幣の人物はどう決める?選ばれし偉人は一体誰?日本を変えたスゴイ歴史とは?

2024年7月3日に新紙幣が発行されますね。

紙幣のデザインが一新されるのは2004年以来なので、なんと20年ぶり!

デザイン一新の発表が2019年で、年号が変わるタイミングが近かったこともあり、期待が高まりました。

デザイン一紙の発表から5年たった2024年の今年、とうとう発行されます!

そしてデザインを一新するので、もちろん紙幣に書かれる人物も変わります。

一体誰が新紙幣に選ばれたのでしょうか?

すでに新紙幣に選ばれた人物をご存じの方もいるでしょう。

今回は、新紙幣の人物の決め方、新紙幣に選ばれし偉人たちのプロフィールや歴史について紹介します!

新紙幣の人物選考のポイント

紙幣には日本の歴史上で功績を残した人物が描かれます。

今まで選ばれた偉人たちの共通の特徴はあるのでしょうか。

そして、2024年の新紙幣には、誰が選ばれるのでしょうか。

お札の肖像を選ぶ基準

お札の肖像の選び方には、法令等の制約はありませんが、おおよそ次のような理由で選定されています。

  • 偽造防止の観点から、なるべく精密な写真を入手できること
  • 肖像彫刻の観点からみて、品格のある紙幣にふさわしい肖像であること
  • 肖像の人物が国民各層に広く知られており、その業績が広く認められていること
独立行政法人国立印刷局 お札に関するよくあるご質問

このような理由があり、現在では明治以降の人物から選定されているそうです。

紙幣のデザインを一新する主な理由のひとつとして、「偽造防止対策の強化」が挙げられています。

今回の新紙幣では、今までよりも精細のすかし模様や最先端技術によるホログラムが施される予定です。

また紙幣の表面の左上には、アルファベットと数字が印刷されており、これは紙幣を識別するために使用される「記番号」です。

今までは9桁でしたが、今回は10桁に変わります。

偽造防止対策を強化して、これからも安心して現金を使えるような環境になるといいですね。

登場する偉人たちの特徴とは

登場する偉人たちの特徴には、国のために役立つ様々なことをして、 歴史に名を残した人という以外に「文化人」ということが挙げられます。

現在のお札である、福沢諭吉は慶應義塾大学を創設した教育者、野口英世は細菌学者、樋口一葉は作家です。

他にも以下のような特徴が挙げられます。

三井住友信託銀行

偽造をするのが難しい、ヒゲやシワがある人が選ばれてきましたが、お札の製造技術が発達しているため、樋口一葉のようにキレイな顔をしている女性も今後選ばれるかもしれませんね!

新紙幣の顔

2024年7月3日に新紙幣が発行されます。

新紙幣に選ばれし偉人が誰なのかとても気になりますよね。

紙幣には、日本の歴史上で功績を残した人物が描かれます。

2024年6月の現在では、千円札は野口英世、五千円札は樋口一葉、一万円札は福沢諭吉ですよね。

そして2024年7月3日から発行される新紙幣には、新千円札は北里柴三郎、新五千円札は津田梅子、新一万円札は渋沢栄一が選ばれました。

ここでは3人の偉人の功績をプロフィールとともに紹介します!

新千円札:北里柴三郎の医学と社会貢献

新千円札に選ばれた人物は、北里柴三郎(きたざとしばさぶろう)です。

北里柴三郎(1853年〜1931年)は、熊本県小国町出身で、「近代日本医学の父」と呼ばれる医学者・細菌学者です。

1871年の18歳、古城医学所兼病院(現・熊本大学医学部)にて、オランダ人軍医マンスフェルトを先生としてその教えを受けます。

この時に医学の道に進んだんですね。

1874年、東京医学校(現・東京大学医学部)入学し、在学中に予防医学を生涯の仕事とすることを決意します。

東京医学校(現・東京大学医学部)を卒業後は内務省衛生局に勤務、1885年ドイツに留学し、1886年より結核菌を発見したコッホを先生としてその教えを受けます。

そして3年後の1889年に世界初の破傷風菌培養に成功し、翌年には破傷風菌抗毒素を発見して世界を驚かせるのです。

破傷風(はしょうふう)とは、傷口(きずぐち)から体中に入りこんだ破傷風菌(はしょうふうきん)という菌(きん)が、全身の筋肉(きんにく) をけいれんさせる病気で、悪化すると呼吸(こきゅう)ができなくなって死んでしまいます。

製薬協 くすり偉人伝 No.2 北里柴三郎

北里柴三郎は、36歳で世界の偉人となったわけですね!

1891年に医学博士となり、1892年帰国後には日本初の伝染病研究所を創立し、所長を務めました。

伝染病研究所とは、伝染病を予防・治療する薬などの研究と製造をおこなう施設です。

北里柴三郎は伝染病の研究や薬の開発で、多くの伝染病患者を救ったんですね。

そしてなんとこの伝染病研究所を創立する際の費用を、現在の一万円札である福沢諭吉が提供したんです!

古巣の内務省に伝染病研究所の設置を強く訴えたが、実現の見込みが立たず、途方にくれてしまう。そんな窮状を救ったのが福沢諭吉であった。諭吉は事情を知ると、私財を投じて研究所を設立してくれたのである。翌年、柴三郎は日本初の結核専門病院・土筆ヶ岡つくしがおか養生園を開設するが、諭吉が土地を提供し、資金調達の手助けをしてくれたうえ、教え子の田端重晟しげあきを事務長に派遣してくれた。

https://www.fielding.co.jp/column/history/202102/

慶應義塾大学を創設した福沢諭吉の協力により、慶応義塾大学横の土地と建物を譲り受け、伝染病研究所を設立しました。

福沢諭吉は、「学問のすすめ」の中で「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という名言があり、人間の「自由」・「平等・」「独立」をわかりやすくあらわした思想家であり教育者です。

北里柴三郎と福沢諭吉には深い関わりがあったんですね。

また北里柴三郎の弟子は、現在の千円札である野口英世です。

野口英世は黄熱病の研究で知られる細菌学者ですね。

自身の研究だけでなく優秀な人材を輩出し、日本の医学に貢献しています。

そして1894年に恐ろしい病気であるペスト菌を発見します。

1894年、香港(ほんこん)でペストが流行したときに、柴三郎(しばさぶろう)はその原因を調査しにいきました。そして、わずか2日で、「ペスト菌(きん)」がペストの原因であることを発見したのです。
さらに、患者(かんじゃ)の家にネズミの死体が多いことに気づき、ペストが広がる原因となるネズミを退治すれば、ペスト予防になることも発見しました。

https://www.jpma.or.jp/junior/kusurilabo/history/person/kitazato.html

そして1915年には北里研究所を創立し、1917年には慶應義塾大学医学部の創設、日本医師会などの医療団体や病院設立に積極的に取り組み、社会貢献を行いました。

北里柴三郎は、まさに日本の近代医学の基礎をつくりあげた偉人ですね。

北里柴三郎 https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/259

新五千円札:津田梅子の人物像

新五千円札に選ばれた人物は、津田梅子(つだうめこ)です。

津田梅子(1864〜1929)は、日本の女子教育家で、津田塾大学の創設者です。

1871年、6歳の時に日本最初の女子留学生として岩倉遣外使節団と共にアメリカに留学します。

この頃は女性の教育が重視されていなかった明治初期ですね。

11年におよぶ留学を経験し、帰国後は英語教師として女性生徒に英語を教えるなど、女性では異例の高い立場を得ました。

英語教師として津田梅子は、完璧を求め、とても厳しい指導をしていたんですね。

それも深い愛ゆえのもの、心を鬼にして指導されたようです。

そして女性の身分を高めるために女性の教養に力を入れた学校をつくりたいと再留学し、1900年に女子英学塾(現:津田塾大学)を創設しました。

また私生活では贅沢をせず慎ましくして、出費をできるだけ抑えるような暮らしをしており、集めた寄付金のすべてを女子教育に捧げています。

このように多くの人々を引きつけ、支援を集めた津田梅子は、後に続く女性たちに大きな影響を与えました。

津田梅子 https://mindmeister.jp/posts/tudaumeko

新一万円札:渋沢栄一の伝記と理念

新一万円札に選ばれた人物は、「近代日本経済の父」と称される渋沢栄一(しぶさわえいいち)です。

2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公にもなったのでご存じの方も多いでしょう。

渋沢栄一(1840〜1930)は明治・大正時代の大実業家です。

武蔵国豊里村(今の埼玉県深谷市)の大地主の家に生まれました。

渋沢栄一は家業を手伝いながら、父親から学問の指導を受けます。

一時、幕府徳川慶喜に仕え、実力を発揮し、認められていくんですね。

1867年の27歳の時に、慶喜の実弟である徳川昭武に付き添い、パリの万国博覧会を見学します。

その際にヨーロッパ諸国の産業や社会制度を広く見聞し、深く関心するとともに日本の発展不足を身をもって知るのです。

明治になった頃には大蔵省(現:財務省)の役人として、租税や貨幣、鉄道、銀行など新しい国つくりに貢献しました。

そして1873年に渋沢栄一は大蔵省を辞めて、民間人として働きます。

最初に取りかかったのが「第一国立銀行(現:みずほ銀行)」の設立です。

日本で最初に設立した銀行ですね。

この第一国立銀行を拠点に、株式会社組織による企業の創設や育成に注力し、社会公共事業、福祉・教育機関の支援にも取り組みました。

渋沢栄一が関わった会社は500社とも言われています。

渋沢栄一が設立に関与した企業は500を超え、多くが名称を変えながら存続、発展しています。その一部をご紹介しましょう。

東京海上保険会社(現:東京海上日動火災保険)、東京瓦斯会社(現:東京ガス)、大阪紡績会社(現:東洋紡)、東京株式取引所(現:東京証券取引所)、抄紙会社(現:王子ホールディングス)、東京ホテル(現:帝国ホテル)、日本鉄道会社(現:東日本旅客鉄道)、東京電灯会社(現:東京電力ホールディングス)など

また、教育を重視したことから、「商法講習所(現:一橋大学)」「大蔵経済専門学校(現:東京経済大学)」などの設立に注力。さらに、女子教育の必要性も重んじて「日本女子大学」「東京女学館」などの設立、発展に寄与しました。

さらに、社会格差をなくすための公共事業にも力を入れ、「養育院(現在は東京都の事業として継承)」「博愛社(現:日本赤十字社)」などの設立に貢献しています。

https://www.saitamaresona.co.jp/mikke/local/local_0002.html#

彼が設立に関わった会社の多くが日本経済を支える大企業に成長していることから、「日本資本主義の父」とも呼ばれています。

渋沢栄一は、日本が西洋文化を取り入れ、近代国家をつくっていくなかで、卓越した業績を残し日本の産業発展に大きな役割を果たしたとてもすごい偉人なんですね。

渋沢栄一 https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/104

まとめ:新紙幣を機会に、お札になった偉人たちをチェックしてみよう!

新紙幣の顔は、

  • 新千円札  北里柴三郎
  • 新五千円札 津田梅子
  • 新一万円札 渋沢栄一  です。

20年ぶりにデザインが一新され、気になるところがたくさんありますよね。

紙幣の肖像になった人物もテレビなどで取り上げられることも多くなるでしょう!

この機会に改めてお札に興味を持ち、紙幣に選ばれた偉人たちや紙幣の仕組みなどを調べてみるもいいですね!

2024年7月3日の新紙幣の発行がとても楽しみです!


  • この記事を書いた人

いくちゃん

栄養士ライター。 食と栄養への興味があり、管理栄養士を取得。食品・栄養・病気・食問題に関する情報に加えて、好奇心旺盛な性格を活かし、気になること・好きなことを分かりやすく執筆中。

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